創価学会の現実

創価学会の現実を現役学会員が語ります

心の拠り所となる「優良企業」としての宗教とは

前回の記事で、母は現在日蓮宗の信仰に傾いていると書きましたが、

日蓮宗とどういう接点があったのかというと、実は数年前から日蓮宗の納骨堂に父の遺骨を納めているからなんです。

我家の墓は長年父任せにしていたんですが、父は創価学会で信心してるから墓は放っておいて自宅で題目唱えておけば大丈夫とか思っていたらしく、

手入れもしないで放置していたようで、父が他界した時、墓を見に行ったらボロボロの状態でとても遺骨をそこへ納める気にならず、

墓ではなく納骨堂に納めることにしたのです。

墓の管理を父任せにしていた私も悪いんですが、納骨堂の方が管理も楽だと思い家族で話し合ってそうすることにしました。

その頃丁度創価学会の無料で借りられる納骨堂が空いてるからと学会幹部が言ってきたので、そこへ納骨することにしたのです。

その納骨堂は車で2時間ほどの場所で、創価の文化会館に併設されている納骨堂でした。

しかし、がめつい創価がいつまでも無料で貸してくれるわけがなく、

しばらくするとそこの納骨堂は閉鎖されることになり、遺骨をよそへ移さなければならなくなりました。

するとさっそく学会幹部が有料の墓苑や納骨堂のパンフレットを数種類持って申し込みを促すためにやってきたんですが、

どれも場所が遠いところばかりで、しかも金額も高く、その頃はもう創価の有料の納骨堂や墓苑に納骨する気はなくなっていたので、

自分たちで決めたところがあるからとそれらを断わり、遺骨をしばらく自宅に保管していました。

そして納骨堂の広告を探しているうちに、日蓮宗寺院の納骨堂の広告を見つけ、そこは納骨は宗旨宗派不問となっていて、

母もうちはもともと日蓮宗だからそこの方がいいと言ったので、そこへ納めることにしたのです。

その納骨堂は場所もそれほど遠くなく、最初にまとまった納骨料を納めますが、相場からしてそれほど高くもなく、

また、納骨する人は護持会というものに入会し毎年護持会費を支払いますが、

これが納骨堂の管理料になっていて、費用は毎年数千円でこれも特に負担になるというほどでもありません。

そして、毎年春に新たに1年間の会費の振込用紙と共に前年の会費の収支明細書が送られてきますが、

そこに会費がどういうことに使われたかという明細が具体的に細かく書かれてあります。

そこが収支明細を一切公表しない創価とは違うところですね。

その寺院には春秋の彼岸法要や盂蘭盆会法要と年に3回ほど行きますが、

母の体調がいい時は一緒に車に乗せていきます。

その母がその寺院の住職を気に入っていて、

「学会幹部の指導というと、いつも折伏の目標を達成しろとか新聞啓蒙しろとかエフを取れとか財務にたくさんお金を出せとかそんな話ばっかりで嫌な気分になって心の安まることがなかったが、ここのご住職は学会幹部のようなことは全然言わないから安心して話を聴ける」と喜んでいて、

それもあって日蓮宗の信仰に傾いている理由になっているようです。

 確かに母が言うように、創価ではいつもノルマ達成を迫られ、その上経済的負担まで過大にかけられているのでそれがストレスになっていましたし、全く心の安まることがありませんでした。

本来、心の拠り所となるべき宗教が、信者にストレスを与え心の安らぎを与えられないようではまとまな宗教とは言えないでしょう。

何しろ目的が信者をタダでこき使って搾り取るという創価学会なんですから、そうなるのは当たり前と言えます。

それから、その納骨堂のある寺院で法要に参加する時はいくらかお布施を包みますが、

創価のような1口いくらという決まりはなく気持ち程度の金額を包んでいるので負担になるほどではありませんし、

たくさんお布施を出せば大きな功徳が得られるというような話を住職がすることも全くありません。

だからストレスも全く感じません。

私は日蓮宗を特別正しい宗教とは思ってませんが、それでも心の拠り所として安心感を得られる宗教としては「あり」だと思います。

それが美輪明宏氏が言う「優良企業としての宗教」だと言えるでしょう。

だから母が日蓮宗の信仰に入っても別に構わないと思っています。

 あと、日蓮宗の人たちは創価学会のことをどう思っているのかとそれが気になってたんですが、

法要後の「お斎(おとき)」(法要後の会食)の席で、母が隣に座っていた信者と思しき老婦人と話をしている時、

創価学会ではいつも戦え闘争しろと言われて心の安まることがなかった」などと創価の批判を愚痴めいて言い出したんですが、

それに対して相手の老婦人は全く関心がない様子で聞いてました。

古くからの日蓮宗信者なら小樽問答での創価学会の汚いやり方に敵対心を抱いてるのではないかと思ってたんですが、

全く関心のない様子で、今や創価学会のことを何とも思ってないようでした。

全ての信者の反応ではないですが、まあ、こんなところではないかと思います。

つまり、日蓮宗では創価のような外に敵を作って信者の闘争心を煽るというようなことはしていないということです。

立正安国論に見る日蓮のカルト性』というサイトにも書いてあるように、

日蓮の思想そのものにカルト的なところがありますが、日蓮宗はこのカルト性がなくなっているか、またはかなり薄められているようです。

それはテレビ番組の『ぶっちゃけ寺』に日蓮宗の僧侶が他の宗派の僧侶と仲良く一緒に出演しているのを見ても分かるとおりで、

現在の日蓮宗にはカルト的な心配はないと言えるでしょう。

私は日蓮宗の信者になるつもりはありませんが、母が信じるのならそれは構わないと思っています。

ちなみに、今年執り行なった伯父の学会葬では、創価式の題目を唱える気になれず、

周りの学会員が唱える「なんみょう~」の創価式題目の合唱の中、

私は日蓮宗式の「なむみょう~」を唱えていました。

早口でも唱えられる「なんみょう~」に対して「なむみょう~」は早口では唱えにくく、

リズムが合わせにくいですが、それには構わず唱えてました。

隣に座っている学会員に気づかれないようにあまり大きな声は出せませんでしたが、

私としては創価式の題目を伯父に送るよりもまだましだと思っています。