創価学会の現実

創価学会の現実を現役学会員が語ります

創価退会後の生き方について

創価をやめた人がその後どういう信仰や宗教、あるいは思想信条を持って生きていくかは人それぞれでしょうし、私は人それぞれであってよいと思います。

自分の頭で考えた結果であるのなら、人に迷惑をかけたり被害を与えるようなカルト集団などでない限り、その人が最も自分の生き方に合うと思われる信仰なり宗教なり思想なりを選べばいいわけです。

私の場合は創価学会をやめたことを機に、日蓮信仰そのものから卒業します。

実は創価の活動家だった頃から日蓮の生き方や思想にはそれほど関心がなく、当時はどちらかというと、日蓮教学の基になった天台大師智顗の思想に関心があったほどでした。

なので、創価をやめた後まで日蓮信仰を続けようとは思ってないのです。

それにその日蓮の思想によって生み出されたとも言えるのが創価というカルトあるいは宗教詐欺集団なんですから、私にとっては日蓮信仰そのものがもはや信じる気になれないのです。

 現在は原点回帰というか、仏教の開祖の釈迦の生き方や考え方に共鳴するものがあり、釈迦の思想に傾倒しています。

それはテレビ番組の『こころの時代』を見たり仏教関連書籍を読んでいて受けた影響ですが、私は日蓮などよりも釈迦の思想や生き方に惹かれています。

ただ、母の方は日蓮信仰から離れることができないようですが、それは別に構わないと思っています。

親子であっても信じるものが違っていても構わないですし、それぞれに信じるものを持って生きていけばいいのではないかと思っています。

その母は同じ日蓮信仰を続けているといっても、実は数年前から日蓮正宗ではなく日蓮宗(いわゆる身延派)の信仰に傾いているようです(正式に信者にはなってませんが)。

 というのは、1つはうちの家系がもともと日蓮宗の信徒だったそうで、日蓮宗の方に親近感を持っているということがあり、もう1つは数年前、美輪明宏氏が日蓮宗の信徒であることが分かったことにもよります。

母は美輪明宏氏のファンで、美輪氏が出ているテレビ番組はよく見るんですが、その中で私も一緒に見ている時、美輪氏が題目を唱えている場面があって、それで日蓮系の信仰をしていることがわかったんですが、その時唱えていた題目の発音が日蓮正宗創価式の「なんみょうほうれんげきょう」ではなく、日蓮宗式の「なむみょうほうれんげきょう」だったので、日蓮宗の信徒なのかと思い、それで図書館から美輪氏の著書を借りてきて読んでみると、やはり美輪氏の家系も代々日蓮宗の信徒だったそうで、美輪氏も日蓮宗の信徒であることが分かったのです。

私は美輪氏に対しては昔はあまりいい評価をしていませんでした。

性同一性障害ということなので何か気持ち悪い人物だと思い、また、霊能力もあるということでいかがわしい感じもしていたんですが、テレビ番組での発言や著書に書いてあるのを見てみると話しに筋が通っていて重みがあり、また、霊能力を売りにして信者を集めて金儲けをするというようなこともしてないので、今では創価の大幹部などよりよほど信用できる人物だと思っています。

美輪氏の著書の中で特に感銘を受けたのは次の言葉です。

宗教は企業です。
その企業の中には優良企業もあれば、「お金をもってきなさい」としか言わないインチキ企業もあります。
尊いわけでも偉いわけでも神秘的なわけでもありません。

信仰というのは教祖もお金も関係ありません。
神仏を信じ、仰ぐことです。
そしてまた、日常生活の中で憎愛喜怒哀楽を体験し、反省、分析、思考し、やがては自分自身をも信じ、仰ぐ、価値のある人に磨き上げていく作業を信仰というのです。

美輪氏も言っているように、信仰と宗教は違うんです。

信仰をすればいいのであって宗教はなくてもいいのです。

必要だと思う人だけ宗教にすがればいいのです。

昔、創価学会は外国人はキリスト教イスラム教など宗教に入っている人が多いが、日本人は特定の宗教に入ってる人は少ないと言い、日本人は無宗教者が多いから信仰心が希薄だなどと教学書などに書いてましたが、

これなどは信仰と宗教を混同している姿だと言えます。

というよりわざと混同しているようです。

無宗教だから信仰心がないとは言えないでしょう。信仰は宗教に入ってなくてもできるものだからです。

だから別に無理して特定の宗教に入らなくても、それぞれに何らかの信仰を持って生きていけばいいのではないでしょうか。

もちろん創価などが言うような謗法などというものもないのですから。

それぞれが自由に自分に合う信仰なり思想なりを信じていけばいいのです。

話が少し脱線してしまいましたが、そういうわけで創価を脱した後は、それぞれに自分の生き方に合う道を生きていくつもりです。