創価学会の現実

創価学会の現実を現役学会員が語ります

残念な結果に

残念なことですが、『対話を求めて』が終了してしまったようです。

少し前に400万アクセスを達成し、私もその時コメントをしましたし、次の500万アクセスにもコメントしようと思っていただけに残念です。

創価ブログが数多くある中で、あのブログほど創価に悩んでいる人々にとって心の拠り所になっているところは他にないと思います。

あのブログによって創価組織から脱会できた人や脱会に至らなくとも非活になれた人も多いのです。

私の場合、創価を「インチキ宗教」のように思ってはいても、宗教団体という形にとらわれてはっきり詐欺団体だと断ずることを躊躇していたんですが、あのブログによって創価をはっきり詐欺団体あるいは宗教詐欺と断ずることができるようになりました。

それはあのブログのおかげだと思ってます。

それだけに、そういう反創価の中心的存在だったブログがこのような形になるとは思っても見ませんでした。

コメント欄の収拾がつかなくなったということのようですが、確かに少し前から意見の対立らしきものが目立つようになり、変な流れになってるなとは思ってましたが、一度終了宣言があった後、すぐ再開されて良かったと思っていたら、そのまま収拾がつかなくなり終了されてしまったようです。

確かに、同じ反創価という立場ではあっても人それぞれに考え方が違うということはありますが、しかし、私としては「一致団結」とか「鉄の団結」などという創価組織が使うような言葉は避けたいところではあっても、もう少しまとまれなかったのかなとは思ってしまいます。

まあ、常連ではなかった私がとやかく言う立場にはないですが、あのブログが終了して一番喜んでいるのはやはり創価とその追従者たちでしょう。

それを思うと何とも無念な気持ちではあります。

とは言え、様々な意見が錯綜するコメント欄をうまく捌いてゆくのはなかなか大変なことだと思います。

私のブログなどはコメントは受け付けてないので私の言いっ放し、書きっ放しで気楽な運営ですが、コメント欄で対話をしてゆく形のブログ運営は確かに難しいものです。

ただ、終了したとはいっても今のところブログは削除されずに存在しています。

今後どうなるかは分かりませんが、これまでも、創価に悩んでいる人が、あのブログの記事やコメント欄に書かれてある言葉に触発されて創価組織を去ったり活動から離れたりしていったわけです。

創価を脱会するにしても、悩んでいる当人自身が決断し行動を起こしたわけです。

当たり前のことですが、ブログ主やコメント欄の常連の人たちが代わりに脱会の手続きをしてくれたり、一緒に付き添ってくれたりしたわけではなく当人自身が行動したわけです。

それは今までもそうでしたし、更新を終了したこれからもそうなのです。

つまり、『対話を求めて』が更新されていた時も更新が終了された後も、いずれにしても悩んでいる当人自身が決断し行動を起こすということに変わりはないということなのです。

その創価に悩んでいる人の背中を押すのはあのブログの記事であったりコメントであったりするわけで、それは過去の記事やコメントでも同じだと思います。

ブログは終了していても、過去の記事やコメントを読むことによってそれに触発されて決断し行動を起こして創価を去る人はこれからも出てくるでしょう。

だから『対話を求めて』は終了しても重要な反創価ブログであることに変わりはないのです。

そのようなブログであるからこそ、終了したあとであっても、ブログ自体は削除されずにそのまま存続されることを切に願います。