創価学会の現実

創価学会の現実を現役学会員が語ります

創価の信仰の現実

こんばんわ、トウガラシです。

 

昨日は西宮神社で恒例の「福男選び」があり、テレビニュースでも報じてました。

参加者は何とか福を得ようと、必死に走ってましたね。そして、1番福を得た人はとても嬉しそうでした。

しかし、福男になった人は本当に福を得たんでしょうか。

以前、過去に福男になった数人にインタビューして、福男になった年はどんな良いことがあったのかと訊く番組がありましたが、1番福になってもろくなことがなかったという人が何人かいましたね。

福男になって良いことがあったと答えている人もいましたが、結局、福男になっても良いことがあったりなかったりで、結論としては福男になったからといって必ずしも良いことがあるというわけでもないということのようです。

まあ、そういうものではないでしょうか。

実際に霊験があるかどうかではなく、気持ちの問題で、福男になったことによってその1年を前向きに明るく生きられるということではないかと思います。

宗教とか信仰というのは結局はそこに存在価値があるのではないかと思いますね。

つまるところ宗教や信仰は心の支えとしてあるものであって、そこにあまり即物的で即効性のある恩恵を期待しない方がいいのではないでしょうか。

それは創価学会でも同じで、創価は極めて即物的な現世利益を功徳として宣伝していますが、実際にそのような功徳を得られたという学会員は稀です。

学会員は創価が力説している功徳を求めて、学会本部から言われるままに生活も家族も犠牲にし、人には迷惑をかけながら活動に邁進しているわけですが、現実には生活は悪くなる一方でしかありません。

しかも、信仰することによって得られる心の豊かさというものも活動家の学会員には乏しく、活動家になればなるほど、創価を信じれば信じるほど心の狭い人間になっていってます。

それは多くの人が実感していることと思いますが、私もそういうバリ活会員をたくさん目にしてきました。

それは実際に学会活動すれば分かる通り、創価の活動家になれば信仰による心の広さ、心の豊かさというものは得られず、いつも何かに追い立てられているような気持ちしか持てないからです。

つまり、創価学会では成果を要求されるため活動に励むほど心が豊かになるどころか自分のことしか考えられず、心の狭い人間になってしまうのです。 

ネット上でよく言われているように、創価学会は宗教ではなくブラック企業か詐欺師だというのはそういうことだからだと思います。