創価学会の「広宣流布」の現実
このところ、聖教新聞に学会書籍『創価学会を語る』の広告が頻繁に掲載されてますね。
学会機関紙だけでなく、一般紙でも目にします。
この本は創価学会系仏教学者・松岡幹夫氏とキリスト教徒の著述家・佐藤優氏の対談本ですが、内容は例のごとく、創価礼賛本となっています。
この中で、佐藤氏は、
「創価学会は、これから日本発の初めての世界宗教になっていきます。将来、世界の三大宗教はキリスト教、イスラム教、創価学会になるでしょう」
と発言しているんですが、これはとある反創価ブログにも書いてあったように、あまりに持ち上げ過ぎではないでしょうか。
あまりに持ち上げすぎてその礼賛の言葉が皮肉に聞こえるほどです。
そして、その本の広告には、同じく創価寄りの政治評論家や脳科学者の推奨の言葉も掲載しているんですが、こういうものを見ると、いかに創価学会の資金力、もっとあからさまに言えば、創価の金の力が言論界に及んでいるかということがひしひしと伝わってきます。
これもよそのブログに書いてあったことですが、学会外部の創価寄り文化人は、その創価を絶賛していることについて何割が本心で何割がビジネスなんだろうかと思ってしまいます。
まあ、100%本心なのならとっくに創価に入会してると思いますが、今だに外部ということはほとんどビジネスということかも知れないですね。
このように、文化人が本心ではなくても創価を称賛し創価側になびいているということ、即ち金の力で文化人・知識人をなびかせて言論界や経済界やマスコミや芸能界、それに政界までも支配してゆくことが創価学会にとっての「広宣流布」ということなのかも知れないですね。
「広宣流布」とは本来は仏教の教えを社会に広めることであるわけですが、創価学会にとっての「広宣流布」とは仏の教えを広めることではなく、金の力で社会を支配することなのでしょう。
つまり仏の教えなどどうでもいいことであって、何でもいいから自分たちが儲けて得をするような社会にすることが創価流の「広宣流布」なのでしょう。
このことからも、創価学会は宗教ではなく営利企業であることが分かります。