創価学会の現実

創価学会の現実を現役学会員が語ります

弱者を認めない創価学会の現実

こんばんわ、トウガラシです。

私が創価の活動家だった頃は創価学会以外の他宗教に関する書籍やテレビ番組には全く関心がなく見たり読んだりしたこともなかったんですが、非活になってからは少しずつ他宗教に関する書籍やテレビ番組にも目を向けるようになりました。

中でもNHKEテレの『こころの時代~宗教・人生~』という番組は毎回のように見ています。

その『こころの時代』の先月に放送されたものの中で特に感銘を受けたことがありますので、きょうはそのことについて書いてみたいと思います。

それは先月25日に放送された「神は弱さの中にあり」という タイトルで、同志社大学教授でキリスト教徒(カトリック)の木原活信氏が出演していた時の内容なんですが、その番組の中で木原氏は「人間は弱い存在。自ら弱さを認めることで他の人を思いやる心が生まれる」と述べていました。

また、「世の中は、通常、強いこと、物事を行う能力の高いことが、評価される。しかし、人間は、もともと弱い存在であり、弱さを認め合うことで、生きやすい世の中に、多少なりともできるのではないか」とも語っていました。

私が創価の活動家だった頃ならば、おそらく、そういうことを言う人を軽蔑しただろうと思います。

何しろ、創価学会の理念なりスローガンなりモットーというのが「大勝利」とか「勝って勝って勝ちまくれ!」とか「戦え」とか「闘争」であるわけですから、そういう創価の理念に染まっている側からすれば、木原氏が述べていることは「弱者の理論」であり「敗北者のつぶやき」としか思えないわけです。

 しかし、いわゆる創価脳から脱している今思えば、木原氏が言うキリスト教思想の根底にある「自らの弱さを認める」という考えや「弱者への眼差し」、そして「人の弱さを認め合う」ということは大事なことではないかと思っているところです。

創価学会では強い人間しか認めません。弱い人間は敗北者扱いされます。

それがあるから創価で信心すれば人生を前向きに生きることができるんだという人もいますが、しかし、現実はたとえ学会員であってもそういう強い人間ばかりではないんです。

強い人間しか認めないとか弱者は敗北者だと決めつけるような組織あるいは世の中では、弱い人間は切り捨てられてしまいます。

そんな組織が果たして世界人類を救える宗教だと言えますか?

また、そんな世の中になって理想社会だと言えますか?

私は今までキリスト教には詳しくなかったのですが、詳しくは知らなかったにも関わらず、創価学会の「キリスト教は外道」という独りよがりの教学を信じこんできて、キリスト教を見下していましたが、これからはそういう偏見や先入観を捨てて虚心坦懐に物ごとを見ていくことが必要だと思います。

私はキリスト教こそ正しいと言うつもりはありませんが、創価学会のような歪んだ教学思想にとらわれず、今まで邪宗邪義と決めつけてきたものにも良いところはある、という考えももつべきだと思います。

創価学会の言うような「勝つ」ことだけが人生ではないということです。