創価学会の現実

創価学会の現実を現役学会員が語ります

バリ活会員のその後の現実

こんばんは、トウガラシです。

創価のバリ活会員というのは口を開けば、創価の組織についていけば人生がバラ色になるとか学会活動に頑張れば盤石な人生が築けるとか、そういう能天気な気持ちで生きている人が多いんですが、それはいわば幻想の中を生きていて現実を見ていない状態だと言えるでしょう。

かく言う私も青年部の頃はそういう考えを持っていたこともありましたが、しかし、普通は年を重ね、人生経験を重ねていくうちに、だんだんと現実というものが見えてくるものです。

特に青年部の頃はまだ若いし独り身が多いということもあって、将来の生活設計などというものを考えることもなく、社会的にどうこう考えることもなく、いわば滅茶苦茶な生活をしていても気にしないで生きていられる時期でもあるので、仕事もろくにしないで学会活動に明け暮れるというような生活もできるわけですし、とにかく強気で怖いものなしの活動家が多かったですね。

私が青年部の頃も周りの活動家にはそういうバリ活会員が多かったです。

そして、そういうバリ活会員は学会活動に生き抜いていけば人生が自然に盤石になり何も心配のいらない境遇になれると信じ切っていたようです。

しかし、そういうバリ活会員があれからどうなったかといえば、やはり現実というものに向き合わなければならない状態になってしまっているようです。

学会活動さえやってれば怖いものなしだったバリ活会員も、やがて結婚し家庭を持ち、子供が生まれ年を取ってゆくうちに青年部の頃のような幻想の中だけに生きているわけにはいかなくなっています。

今でも時々現役活動家の当時のバリ活仲間と会う時があるのですが、青年部の頃の怖いもの知らずの自信満々たる態度は影を潜め、生活に疲れた中年オヤジになってしまっています。

信心の継承者にと考えていた子供も小学生の頃までは素直に勤行唱題をし会合にも参加していたのが、中学生の頃から唱題もしなくなり会合にも出なくなり今では創価組織から離れてしまっているようです。

結局、思い通りにならない現実があるわけです。

それでも口先だけは強気の発言をしているのですが、虚勢を張っているとしか見えず、痛々しい感じがするだけです。

青年部の頃は無茶な生活をしても平気であったものが、家庭を持った中年にもなると過酷な学会活動についていけなくなるのは当然でしょう。

創価学会がいう大功徳とやらが出てくることもなく、創価に貢ぎ活動に追われて生活は

きつくなるばかりのようです。それがバリ活会員のその後の現実というものでしょう。

バリ活会員は私が親の介護生活をしていることについて「創価組織から離れるからだ」などと言ってますが、それはバリ活会員でも同じことで、やはり親の介護の問題に直面している人もいます。

つまり、学会活動を懸命にやってもやらなくても、この人生は同じだということです。

私が非活にならずに今でもバリ活のままであってもこの現実は変わらないと思いますよ。

よほど学会活動が好きでたまらないとか楽しくて仕方ないと思ってる人間ならいいでしょうが、学会活動というのはそんな楽しいものではないですし、少なくとも私は嫌いでしたから、同じ境遇になるのなら、創価とは関わらない方がよほど良いに決まってますよ。

揺らぐことのない盤石な人生を夢見て学会活動に明け暮れていたかつてのバリ活青年部員も、中年になって現実を思い知らされているわけですが、それでも今だに学会活動を続けているのはもはや意地だけとしか思えません。

その姿はとても幸福な人生とは思えないですし功徳の姿には見えないです。

確かに信仰というものは苦しみの人生を支える効果があると思いますが、創価学会の場合はただ自宅で勤行唱題しているだけではなく活動に出てこなければ退転者扱いされるところですから、苦しみの人生を支えるどころか、その活動がむしろ重荷にしかなっていないのが現状です。

ネット上でも自信満々に強気の発言をしているバリ活会員がいるようですが、そういう人も今は強気でいられても、これからもずっとそういう怖いもの知らずでいられるかどうか。5年先、10年先、20年先にどうなっているか。

その時になれば分かるでしょう。少なくとも創価という組織は信者が困っていても助けてはくれないですよ。

自分で何とかしろと「指導」するだけです。

バリ活会員のその後の人生を見れば答えは分かると思いますよ。