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創価学会の現実

創価学会の現実を現役学会員が語ります

残念に思うこと

こんばんは、トウガラシです。

 

インターネットの時代になり、そのネットの力によって反創価運動が盛り上がってきている中で残念に思うこともあります。

それは、創価学会を批判しているアンチ創価の中に、同じアンチ創価を批判している人がいるということです。

同じアンチ創価といってもさまざまな主義思想の立場があるので、アンチ創価同士で批判するというのは致し方ない面もあるとは思いますが、しかし、せっかくの反創価運動の盛り上がりに水を差すことになってしまい、残念なことだと思っています。

 特に同じアンチ側から批判されているのは、前回の記事で私が注目しているブログとして紹介した『対話を求めて』です。

そこを特に批判しているのは日蓮正宗の信徒の人が多いようです。

『対話を求めて』に集ってる人は創価学会批判を通り越して宗祖の日蓮批判にまでいってる人が多いようで、それが日蓮正宗信徒の人からすれば我慢ならないのだと思います。

ただ、私としては日蓮批判にまでいってしまうのは仕方ない面があると思っています。

日蓮の思想には過激な部分もあり、それを利用したのが創価学会であったわけですから、創価学会の被害に遭った側からすれば創価憎しから宗祖の日蓮憎しとなってしまうのは理解できないことではありません。

 私もかつては、創価のようなカルトを生み出したのは日蓮の思想なんだから宗祖の日蓮にも責任があると思っていた時期がありましたが、その後、中立的な立場で書かれた日蓮に関する学術書を読んでいくうちに、日蓮の思想には確かに過激な部分や間違っていると思える部分があるにしても、日蓮には日本を救いたい、良くしたいという純粋な想いがあったのだろうと思えるようになり、それからは全てではないですが、ある程度は日蓮を評価しています。

 ただ、それでも日蓮を本仏とする考え方には賛同できないです。

私が評価し尊敬できるのは人間としての日蓮であり一宗教家としての日蓮だからです。

日蓮を宇宙根源の法と一体となった本仏として崇めるのは日蓮を創造神のような存在に祭り上げることになり、それはあまりにも話を大きくしすぎることになりますし、それに日蓮の本意でもないと思っているからです。

 話が少し逸れましたが、『対話を求めて』では日蓮に否定的な意見を言う人が多いとはいっても、その人たちも個人の信仰は自由であり何を信仰しても構わないと言っているのであり、問題としているのは創価のようにそれを無理に他人に押し付けることであって、それを批判しているわけですから、思想的立場が違うとしても、同じアンチ創価同士で批判するというのは控えた方がいいと思っています。

私も『対話を求めて』に書かれてある考え方全てに賛同しているわけではないですが、それでも立場や考え方の違いはそれはそれとして、反創価運動の先導者としてこのブログを評価しているのです。

さまざまな主義思想や立場があるアンチ創価という存在なのですから、少しの思想的な違いに目くじらを立てずに、創価批判という同じ目的に向かうべきだと私は思っています。

 

 

 

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