創価学会の現実

創価学会の現実を現役学会員が語ります

祝! 対話ブログが再開

『対話を求めて』が再開されました。

 私のブログを含めて、個人の反創価ブログがいくら創価の批判記事を書いて社会に発信しても、創価のような巨大悪に対してはそれほど影響力はないものです。

 たとえ世の中の共感を得られたとしても、それ以上に世の中を動かすところまではいかないと思います。

しかしそんな中にあって、 『対話を求めて』は個人ブログでありながら、創価の被害に遭った多くの人々の生の声を反映させ、そこから更に創価に矛盾や疑問を抱いている人たちの共感を得てゆくことによってその影響力を世の中に波及させています。

それは一過性のものではなく、そのブログが4か月間休止していても、再開を希望する人たちの声が止まなかったということを見ても分かるとおり、 創価被害に遭った人たちの心の拠り所となっていて、その影響力は徐々にではあっても世の中を動かすところまで行っています。

 このような反創価ブログこそ創価にとっては脅威となることでしょう。

 だからこそ、このようなブログは潰れてはならないと思います。

これからも続けてゆかれるよう願っています。

 

 

 

創価の二枚舌

創価学会の二枚舌というのはよく聞く話ですが、

きょうはそのことについて体験したことを書いてみたいと思います。

青年部の頃の選挙戦で、いつものように男子部活動家大会があったのですが、

その席で、とある県幹部が何人かの男子部幹部の名前を読み上げてその場で立たせたんです。

立たされたのは皆支部幹部でした。

それで、その県幹部がこう言ったのです。

「こいつらは、法戦だからといって仕事もろくにしないで選挙活動ばかりやっている。

いいか、しっかり仕事をし社会に実証を示すのが我ら男子部なんだ。仕事は休むな!」

それを聞いて私は「さすが県幹部は男子部員のことを考えてくれてるんだな」と感激したものでした。

ところが、その何日か後に、支部幹部が「明日仕事休んで選挙活動に出ろ」と言ってきたんです。

この前県幹部が「仕事は休むな」と言ってたじゃないかと思い、そう言うと、

支部幹部が言った言葉が

「そこは信心で受け止めろ!」

 だったのです。

思うにこの「信心で受け止めろ!」という言葉は、明確に質問や疑問に答えられない時や相手を納得させるだけの釈明ができない時によく使う言葉のようで、要するに、つべこべ言わずに命令されたとおりやれということのようです。

それで、県幹部が「選挙戦のために仕事を休むな」と言っていても、そんなことは聞いてもいないような顔をして「選挙活動あるから仕事休め」と言ってくるわけですから、幹部の指導など全然徹底されてないということでしょう。

というより、県幹部は支部幹部に威圧的に活動人員を出すように指示を出すわけですから、支部幹部や地区幹部が活動家を無理してでも選挙活動に駆り出すのは当然分かっているはずなんです。

それが分かっていても、「選挙戦のために仕事を休むな」と指導したのは、

創価学会は会員の生活のことを考えてやってるんだぞ」という態度を示すためのただのポーズでしかなかったというわけです。

 それで県幹部は「選挙活動のために仕事を休むな」と言い、その直後に支部幹部は「活動があるから仕事休め」という2枚舌になるというわけなんでしょう。

このことに限らず、創価にはこういった2枚舌の言動がよくあります。

つまり矛盾だらけなのが創価という組織なんです。

しかしそんな矛盾した2枚舌の言動に振り回され悩まされるのは活動家なんです。

熱心な活動家ほど心を病み鬱病になるのは、こういった創価の矛盾した体質が原因であることは間違いないでしょう。

 

 

 

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『創価学会仏』の行く末

創価学会仏』と「三代会長の敬称を”先生”と明記」ということが話題になってますね。

普段聖教新聞の記事は見ないのでその記事は知らなかったのですが、

さっき、よその反創価ブログを見て回っていて初めて知ったところです。

それにしても、『創価学会仏』というのはいかにも創価らしいですね。

今までも『宗教界の王者』と豪語し、何かと自画自賛ばかりしてきた創価なんですから、

「我らは仏意仏勅の教団」なんだから『創価学会仏』であるぞよ。

と勝手に言い出すのは当然の成り行きだとも言えます。

何しろそういう思い上がりと傲岸不遜ぶりが創価学会の特色でもあるわけですから。

それと「三代会長の敬称を”先生”と明記」というのは、よその反創価ブログでも「笑えた」と書かれてましたが、私も笑ってしまいました。

そんなことわざわざ会則改正で決めることでもないと思いますがね。

ちなみに私は活動家だった頃でも歴代の会長を「先生」と呼んだことはないです。

私は別に池田師匠を「先生」とは思ってなかったので、他の会員たちが「先生」と言っていても、私は「名誉会長」という言い方をしてましたね。

それが、これからは正式に「先生」と呼べということのようですね。

私はまだ学会員ですが、「先生」とは言いません。

このブログでは今まで通り「池田師匠」と書きます。

それはともかく、その聖教記事には『創価学会仏』と明記することで「宗教的独自性 一段と明らかに」と書いてましたが、「宗教的独自性」というのは要するに、「日蓮直結」とか「御書根本」などと言っていても、創価が勝手に教義を作ってやっていくぞということなんでしょう。

もはや、あれほど重要だと言っていた「文証」も「理証」も関係なく、創価が勝手に創作した何の根拠もない作り話を信じろということなんでしょう。

まあ、何でもありの創価学会ですからこれも成るべくして成ったというところではないでしょうか。

そして、今回の会則改正でも盲信会員は何とも思ってないでしょうし、それどころか感涙にむせび泣いているのではないでしょうか。

 

 

 

創価が広まると幸福になれないという現実

こんにちわ。

今月22日付の聖教新聞に、『池田SGI会長の欧州初訪問55周年を迎えて』と題して、

デンマークSGIのリーダーが広布に生きる歓喜を語ったという記事が掲載されてました。

そして、その記事の中で、

「”最も幸福な国”に広がる師弟の精神のスクラム」という大見出しが書いてありました。

 ”最も幸福な国”というと数年前はブータンでしたが、今はデンマークなんですね。

それでネット検索して調べてみると、国連が発表した今年の「世界幸福度報告書」によると、デンマークが1位で2016年度の”最も幸福な国”なんだそうです。

ちなみに日本の幸福度は53位だそうで、あまり幸福度は高いとは言えないようです。

 それで、さきほどのデンマークSGIのリーダーが語ったという聖教新聞の記事なんですが、デンマークのような”最も幸福な国”にあえて創価学会のような悪質詐欺宗教なんかを広めたら、たちまち幸福度1位の座から転落して”最も不幸な国”になってしまうかもしれませんよ。

それは創価の発祥の地で世界で最も学会員が多い日本の幸福度を見れば一目瞭然じゃないですか。

創価学会の本場で学会員が世界で1番多いというのに、日本の幸福度は53位なんですよ。

創価が広まってもその国の国民は幸福になれないということがこれで証明されてるじゃないですか。

 デンマークはせっかく ”最も幸福な国”なのに、創価のような悪質カルトなんか広めても何のメリットもないでしょう。

まあ、デンマーク創価のような似非仏法が広まることはないと思いますが。

 

 

聖教新聞啓蒙活動もない創価の宣伝ネット動画

こんばんわ。

前回の記事で「創価学会”早わかり”バーチャルツアー」という創価の宣伝ネット動画について書き忘れていたことですが、その動画では聖教新聞の啓蒙活動についても全く触れてませんでした。

とにかく信者に負担がかかるような活動は全部隠していいところだけを宣伝してるわけですからなかなか狡猾なものです。

それでその聖教新聞の啓蒙活動つまりセールス活動ですが、私が青年部の活動家だった頃は青年部としてそういう活動をした記憶がないです。

所属している地域組織で違いがあるのかも知れないですが、聖教新聞の啓蒙活動は主に婦人部が行なってましたね。

婦人部の担当という決まりがあったのかどうか知りませんが、青年部として「聖教新聞の啓蒙をしろ」と言われた記憶がありません。

ただ、その婦人部が時々私の家を訪問してきては、「1ヶ月間、聖教新聞を2部取ってくれないかな?」と頼みに来てましたね。

私は本当は2部も取りたくなかったんですが断れず、その都度2部取ってました。

ちなみに、創価組織では聖教新聞を多部数取るように学会員宅を説得して回るキャンペーンみたいなのがちょくちょくありました。

要するに聖教新聞啓蒙目標達成のためのいつもの押し売りの手法なんですが、

それを担当しているのも婦人部で、よく2人で組んで回ってきてました。

そしてそれは私が母親の介護のため実家に帰ってからも同じで、やはり婦人部が2人組で聖教新聞の2部購読依頼に訪問してましたね。

実家に帰ってきてしばらくは言われるまま2部取ってましたが、さすがに嫌気がさして2部購読は断わりました。

それ以来多部数購読の依頼には来てません。

もちろん、そういう活動は婦人部が自発的に行なっているわけではなく、上からやらされているのは言うまでもないでしょう。

そういったことも創価の宣伝動画では全て無視されていて存在しないかのような扱いになってますが、そんな宣伝動画だけ見て創価を判断してたら後で痛い目に遭いますから、外部の人は気をつけてください。

それから、ついでに言えば、聖教新聞の多部数購読を強要をされたこともないしそんな話は聞いたこともないなどととぼけたことばかり言ってるネット活動家たちがいますが、まじめに学会活動してれば必ず体験することです。

聖教の多部数購読強要などされたことも聞いたこともないと言ってる学会員は、まともに活動していない証拠だと言ってよいでしょう。

 

 

 

 

 

創価の宣伝動画と現実の差

こんばんわ。

普段滅多に創価の公式サイトは見ないんですが、

ネット検索していると、よく「創価学会ってなにしてるの?」

という広告が出てくるので、

いったいどういうことを言ってるのかと、そこをクリックすると、

創価学会”早わかり”バーチャルツアー」という動画に飛び、そこには創価学会での行事とか学会員個人の活動などが動画になっているんですが、

その動画で説明しているのは、学会員個人の基本活動として勤行唱題をし、学会の行事として座談会や本部幹部会、それに各会館で行われる各部総会や勤行会に参加するというもので、その動画だけ見ると創価の信心というのはそんなに大変そうには見えません。

なにしろ、そこには創価の主要活動になっている折伏活動も選挙活動も、そして財務の話なども出てこないからです。

この動画を見た部外者や新入会員に、創価の信心は簡単でいいなと思わせる動画になってるわけで、都合の悪いことは隠してるわけです。

この動画を見て創価学会はいいところだと思って入会する人は、そのうち、その動画になかった折伏戦やら選挙戦やら財務の戦いやらを強いられるようになり、それこそダチョウ倶楽部の「聞いてないよ~!」という心境になると思いますよ。

まあ、創価に入りたい人はその人の勝手ですが、創価というところは都合の悪いことは隠してだまし討ちのようなことを平気でするところですから、入会しようと思ってる人はよくよく調べておく方がいいでしょう。

 

 

成功者は神社に行っているということについて

こんばんわ。

ブログ更新が遅れてしまいましたが、前回の記事の続きを書いてみたいと思います。

前回でも紹介した『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』という本の広告に、

「あの経営者も政治家も武将も知っていた! 日本古来の「願いがかなうシステム」とは?」

松下幸之助出光佐三も、社内に神さまを祀っていた!」

というキャッチコピーが書いてありましたが、創価活動家の頃にこういう本を見たら「こんなのは謗法の本じゃないか」と軽蔑していただろうと思います。

とにかくあの頃は創価が言ってることは常識のように信じてましたから、神社に参拝に行くなどというのは不幸の元としか考えてませんでしたね。

松下幸之助氏については、聖教新聞に池田師匠との対談記事がよく載ってましたし、私が創価活動家だった頃に幹部から「松下幸之助は外部の中でも創価学会の最大の理解者だ」などと聞かされていました。

なので、松下氏は部外者ではあっても創価の教学をよく理解してるんだろうなと思っていたものです。

それについては当時意外に思うことがありました。

当時私が勤めていた会社は松下氏が創業した松下電器(現パナソニック)と取引があり、私も仕事でその事業部に何度か行ったことがありましたが、初めて松下電器に行った時、広い事業部内を仕事の現場に向かって歩いていると、柵に囲まれた中に鳥居が立っているのを見かけ、「会社の中に神社があるのか」と驚いたものです。

しかももっと驚いたのは、その神社内で何やら宗教儀式が行われていたことでした。

 神社内には松下電器の幹部らしい人たちが20人ほど椅子に座っており、

その前で、派手な衣(紫色だったように記憶しています)を着た2,3人の僧侶が宗教儀式を行なっていたのです。

それを見た私は「創業者の松下幸之助創価学会の教えを理解しているというのに、その会社がこんな謗法を犯してどうするんだ」などと少し義憤のようなものを覚えたものです。

当時は私も創価にどっぷりでしたから、そんなことを思ったんですが、後になって、実は松下氏はそれほど創価学会の教えにはまっていたわけでもないということを知るようになったのです。

当時は聖教新聞に載っている池田師匠との対談記事など見て、松下氏は創価学会だけと特別に交流があるのだろうと思っていたんですが、実は創価だけではなく、いろんな宗教の指導者とも交流していたようです。

松下氏にとっては創価学会はそのたくさん交流している宗教団体の中の1つに過ぎず、別に特別な存在でもなかったようです。

だから、創価が主張している謗法の考え方なども全然頭になかったのでしょう。

その松下氏が事業家として成功できたのは社内に神を祀っていたから、というのが最初に紹介した本の内容になるわけですが、霊能者ではない私にはそういうことは分かりませんが、日本でトップの位置にまで登りつめた人は皆神社に行っているらしいので、そういう考え方もできるとは思います。

もちろん、努力だけでなく持って生まれた才能・資質も重要であるわけですが、

少なくとも、創価的な偏狭な思考法をしているよりももっと広い視野に立って考えれば成功者にもなれるということではないかと思います。

 

 

「鳥居をくぐると罰が当たる」という創価の都市伝説

こんばんわ。

少し前、一般紙に『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』という本の広告が載っていました。

近頃はよくテレビ番組などでパワースポットに行くという番組で神社を紹介したりしてますが、私がバリバリの創価活動家だった頃は、そんな番組を見ると「この連中はそこが謗法の場所ということも知らないんだな」などと思ってましたね。

そして番組の中で芸能人が神社の中を散策している場面など見ると「罰が当ってそのうち不幸になるぞ」などと優越感を抱きながらそんなことも考えてましたね。

今から思えば我ながら笑い話ですが、そう言えば中学生の頃に修学旅行に行った時は、親から神社の鳥居はくぐるなと言われてたので、旅行先で大きな神社に行った時は何とか鳥居の外側を廻って中に入れないかと考えたものですが、そこの鳥居はどうしてもくぐらなければ中に入れなかったので諦めて皆と一緒にくぐった記憶があります。

その時はそのうち悪いことが起きるんじゃないかと不安でしたが、結局特に悪いことも起きませんでしたね(当たり前ですが)。

それに、神社は謗法の場所と信じていた時でも、神社の中を散策していると清々しい気分になったものです。

そもそもの話、創価では神社は謗法の場所だと教えてますが、神社の鳥居をくぐったら罰が当たるなどという指導を幹部から受けた記憶はないですし、学会の書籍類で読んだという記憶もないです。

私の場合、親から聞いた話をそのまま信じていただけということになりますが、それが創価の得意な「都市伝説」の手法ということなんでしょう。

機関紙や書籍にはそういうことは書かず、会合での幹部指導でもはっきりとはそういうことは言わず、あくまでも噂話のような形にして会員の間に「神社の鳥居をくぐったら罰が当たる」という話を弘めていったのでしょう。

それが創価以外を信じると謗法の罪で罰が当たるとか不幸になるという思い込みを植え付ける作戦であったわけです。

私などはそんな「都市伝説」としての噂話を長い間真に受けて信じてたのですから、笑うしかありません。

今では謗法などという何の根拠もない迷信は信じてないので、神社に行くのも鳥居をくぐるのも平気ですし、私にはパワースポットのパワーを感じられるような霊感もないですが、先にも書いたようにそれでもパワースポットとされる神社に行くと清新な気分になり心が洗われるような感覚を覚えます。

創価の拠点や会館に行くよりもそういうパワースポットとしての神社に行った方がよほど元気になると思いますよ。

 

 

 

信心は病気の予防策にならない

ご無沙汰してます。

季節の変わり目で風邪を引いてしまったようで、このところ鼻水と咳が出ています。

私は数年前から塩水でうがいをするようになってからは風邪をひかなくなってたんですが、この前、母が風邪にかかったのが私に移ってしまったようです。

このように書くと、「そら見ろ、学会を批判してるからそんな目に遭うんだ」と喜ぶ盲信学会員が必ずいると思いますが、そういう盲信者には「ではそういうお宅は学会で信心を始めてから病気にかかったこともなくケガもしたことがないのか?」と聞いてみたいものです。

私自身はバリ活だった頃でも病気にかかったこともケガをしたこともあります。

別に学会で信心していようといまいと、学会を批判しようとしまいと変わりがありません。

それは他の学会員を見ても同じです。一生懸命学会活動し題目たくさん上げていたのにガンにかかって早死にする人もいます。

かと思うと学会の信心などしたこともないのに元気に長生きしてる人もいるものです。

つまり学会で信心してるかしてないかというのは病気になるならないとかケガをするしないなどとは関わりがないということです。

病気にならないようにと思って学会で信心してる人がいるとすれば、当てが外れてしまうと思いますよ。

風邪にかかった時は無理して題目など唱えずに、体を休ませる方がよほど回復に役立つものです。

 

 

創価ファンタジーの世界を生きるネット活動家 

ご無沙汰してます、トウガラシです。

今さら言うまでもないことですが、創価学会でまじめに活動してきた学会員ほど創価の現実は何かということを知っています。

そして、創価に関わっても不幸にしかなれないということもよく分かっています。

それは創価の活動に関われば関わるほどその実態が分ってくるからです。

その実態というのは、創価は宗教ではなく詐欺団体であるということであり、信者を幸福に導くのが目的ではなく、信者をとことんタダ働きでこき使った上、搾り取ることが目的だということです。

これが創価の現実なのです。学会活動に関わっていればこれは誰でも分かるはずです。

だからこそネット上に元学会員、現役学会員を問わず、多くの創価批判の声が上がっているのです。私もその中の一人です。

しかし、現実を知らないネット活動家はこれが全く分からないようです。

 先日たまたまですが、ネット検索していたら、『これが創価学会のリアルだ!』というブログ記事が出てきたので、見てみると、ネット活動家のブログ記事で、その記事にURLが貼り付けてあったのでそこをクリックすると、創価のネットCM動画に飛びました。

少し前にネット上で「キモい」とか「不気味」と話題になった『夢のその先に』というCM動画です。

このネット活動家が「これが創価学会のリアルだ!」といっているのがこの創価のネットCMだったのです。

自信満々に「これが創価学会のリアルだ!」といっているのが創価のネットCMとは。

これには思わず失笑してしまいました。

実はこのネット活動家というのが、以前に私が「狂乱信者」と名付けた人物のことで、その同じブログでは以前にもその自信満々ぶりどころか自信過剰ぶりに失笑させられたことがありました(⇒「 ご本尊の力が絶大なので、ネットに書けないような功徳や罰の話がごろごろあります。嘘だと思うならば、お近くの学会員にお聞きになってください」)

創価を知らない外部の人間なら、創価のネットCMを見て「これが創価のリアルな世界か」と思ってしまうかもしれませんが、現実に創価と関わっている内部の人間ならあんなCMを見ても「作られた偽物の世界」だということが分かるものです。

ネットCMなどをリアルな創価学会だと言っているのは、裏を返せば、このネット活動家が創価学会の現実をほとんど知らないということの証しであり、この人物が創価組織に実際にはほとんど関わっていないし学会活動もほとんどしていないということの証明でもあるわけです。

しかもこのブログ主はそのCMを見て「不覚にも熱いものが込み上げて」しまったそうですが、創価の現実を知っている人間からすればあまりにも白々しく感じられます。

謂わば創価ファンタジーの世界で生きているのがこのようなネット活動家であるわけで、創価の現実を知らないからこそそういう創価を理想化してその理想世界の中だけで生きているわけなんです。

このようなネット活動家は実際には学会活動もほとんどすることはなく、創価組織ともほとんど関わっていないから現実を見ることなく創価ファンタジーの世界で創価を理想化できるのでしょう。

というか、このようなネット活動家は創価ファンタジーの中にしか居場所がないからだと言えます。

このネット活動家たちは自分のブログやコメント欄でいかに創価がすばらしいか、いかに池田師匠が偉大であるかということを書き込み、そして脱会者や内部アンチに対しては「活動についていけない落ちこぼれ」などと見下してますが、ネット活動家が一番声を大にして言いたいのは「創価は素晴らしい」「池田師匠は偉大だ」ということではなく、「その素晴らしい創価を信じている自分は素晴らしい」ということであり、「その偉大な池田師匠の弟子である自分は偉大だ」ということなんです。

つまり結局は創価を称賛することで自分を自慢したいのです。

だから、よそのブログにも書かれてあったように、創価をけなされると自分をけなされたように、あるいは池田師匠を批判されると自分を批判され否定されたように感じて半狂乱のようになって罵詈雑言を吐いて攻撃してくるというわけなんです。

 このネット活動家たちは実際にはほとんど活動していない未活や非活の部類に入る学会員ばかりです。つまり現実の創価組織には居場所のない学会員なのです。

それでいて「我々は創価から逃げ出した脱会者や批判ばかりしている内部アンチのような落ちこぼれとは違うんだ」などと学会員としての虚栄心や見栄や体裁を持っていて、それでネットの世界にたむろしては「創価は素晴らしい」などと絶賛していかにも創価のためにがんばっているかのように見せかけ、また、創価批判者に罵詈雑言を浴びせ罵倒することによって「広宣流布の邪魔をする仏敵と戦っている自分はすごい!」とか「広宣流布の役に立っている自分は偉大だ!」などと自己陶酔しているのでしょう。

そのようなファンタジーの世界でしか生きがいを感じられない人間は滑稽に思えてしまいますが、このような会員たちも創価にとっては利用価値のある貴重な存在なのかもしれません。

ところで、ちなみになんですが、自分のブログで創価や池田師匠を喜々として誇らしげに賛美しているこのネット活動家と、先日核実験を強行した北朝鮮の国営放送で、喜々として誇らしげに核実験成功の原稿をニュースで読み上げていたベテラン女性アナウンサーとイメージがダブってしまうのは私だけでしょうか?